薗部典子

ずし和美へバトンを渡し、政治とくらしをつなぎます

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東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福を祈り、被害を受けた方々にお見舞いを申し上げます。

薗部典子からずし和美へ「議員」の役割を交代し、災害に強いまちづくり、子どもの豊かな放課後のあり方、虐待を許さないまちづくり、プラスチック焼却問題など環境や健康とも関わる問題、障がいを持った人や高齢者もともに生きるまちづくり、区民との協働の具体化、NPOや市民活動の支援など、区民の皆さまの「ひとこと」をもとに調査活動を行い、政策提案を継続します。

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2011年、ずし和美にバトンを渡しました。   江東・生活者ネットワーク

活動報告 東日本大震災・福島原発事故、私たちにできること“脱原発”の暮らしを 印刷用に最適 (別ページで開きます)

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2011年4月16日

東日本大震災・福島原発事故、私たちにできること“脱原発”の暮らしを

〜 被災地の子どもたちが歌う「明けない夜はないから」をききながら 〜

チェルノブイリ原発の1年後1987年にひとりの主婦、甘薯珠恵子(かんしょたえこ)さんが書かれたブックレット。「原子力産業を野放しにした罰…。私たちの責任です。…どうして日本だけ安全だと、事故など起こりえないと言い切ることができるのでしょう。」とあります。25年たった今、「私たちの責任です」と未来を描きなおしたいと思います。
チェルノブイリ原発の1年後1987年にひとりの主婦、甘薯珠恵子(かんしょたえこ)さんが書かれたブックレット。「原子力産業を野放しにした罰…。私たちの責任です。…どうして日本だけ安全だと、事故など起こりえないと言い切ることができるのでしょう。」とあります。25年たった今、「私たちの責任です」と未来を描きなおしたいと思います。
 3月11日午後2時46分に起こっ地震、津波、福島第1原発事故。

 私たちの暮らしや日本という国の将来への計り知れない不安、すべてのものがその前と後で変わってしまったように思います。いまだに被災地は困難な中にあり、私たちの無力さを知るとともに私たちにできることは…と問い続ける毎日です。

 福島第1原発事故、国際原子力事故評価尺度(INES)の評価で最悪、チェルノブイリ事故と同じレベル7と発表されました。

 1986年に起こったチェルノブイル事故発生後、2000年に亡くなった原子力資料情報室の高木仁三郎さんや山本コウタロウさんが中心となって日比谷公園で開かれた集会に、「原発NO!」の思いでいてもたってもいられずに参加したことを思い出します。
私のこの思いの原点は長崎にあります。父のルーツは長崎、小学生のころ訪れた原爆資料館の衝撃は今でも思い出します。

 福島第1原発は「東京電力」の原子力発電所。
広瀬隆さんの「東京に原発を」という衝撃的な言葉を思い出します。みなさんは私たちのまち江東区に原発を受け入れることができますか?
 チェルノブイル事故当時、34基だった原子力発電所は現在54基。原発はいったん暴走したら制御できないものであり、将来にわたり環境に多大な影響を与え続けるものです。さらに地震列島に原発を建設し続けることは無謀なことではなかったのでしょうか。

 私たちの暮らしや街を節電が当たり前に変えること。脱原発、自然エネルギーの開発・普及。国のエネルギー政策の転換が必要です。
 

〜手を結び ゆっくりと 立ち上がる うつむいた顔あげて ふみ出すよ 一歩ずつ 一歩ずつ すすむために。明けない夜はないから…〜

*「明けない夜はないから」(作詞作曲たかはしあきら/新田新一郎/渡辺リカ)。子どもの笑顔元気プロジェクトの震災復興のためのメッセージソング。